HosCom 2024 vol.21 no.1
聞いてみよう!となりの感染対策
正しいPPE着脱手順普及に向けて〜ナッジ理論を活用した成果〜
- 中野 貴代子
- 国立研究開発法人 国立がん研究センター中央病院 副看護師長 感染管理認定看護師
※本記事は、「HosCom 2024 vol.21 no.1(2024年3月発行)に掲載した内容です。執筆者の所属および記事内容は掲載当時のものであり、現在とは異なる場合があります。
はじめに
2020年4月より、新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)感染拡大に伴い、当院でも東京都の要請を受け、COVID-19感染患者の受け入れをすることになりました。それにより、1病棟をCOVID-19専用病棟として開設し、医療スタッフ(医師・看護師)は定期的にローテーションで配置転換されました。
COVID-19の主要な感染経路としては、⾶沫感染、接触感染、エアロゾル感染が考えられます。そのため、飛沫予防策、接触予防策、空気予防策全ての対応が必要であり、感染予防策の一つに、個人防護具(以下、PPE:Personal Protective Equipment)の着用があります。COVID-19の感染拡大防止と医療スタッフの安全を守るためには、PPEを着用することが非常に効果的ですが、正しく着用できないと効果が低減してしまいます。また、何を着用したら良いのか分からない、普段使用頻度が低いヘアキャップやN95マスクの着用手順が分からないなど、着用時に迷うことが考えられました。そこで、簡易的かつ効果的なPPE着用手順の普及が必要となりました。当院では、ナッジ設計のプロセスに則ってPPEを正しく着用できないことのボトルネックを検索しました。その結果、ボトルネックはPPEの着用手順の複雑さであることが明らかとなり、ナッジを用いて正確な着用手順を覚えていなくとも正しく着用できる方法を検討しました。検討した結果、テーブルを一周回るだけでPPEを正しく着用できるように配置することで、効果的にPPEを着用できるようになりました(写真1)1)。
次にPPEの脱衣について検討しました。PPEを正しく脱ぐことは、さらに難しく大切になります。使用したPPEの表面には細菌やウイルスなどの汚染物質が付着しており、PPEを脱ぐときに人や環境に拡散する恐れがあります。医療者のCOVID-19感染の原因の一つに、PPEを脱ぐときに自分を汚染させてしまい、感染することが考えられます。そのため、正しくPPEを脱ぐことで、人と環境の汚染を防ぎ、感染拡大を防止するための手順を確立する必要がありました。そこで、なぜ正しく脱ぐことができないのかについて、背景とボトルネックを検討しました。
PPEを正しく脱げない背景とボトルネック
脱衣の順番が分からない。
感染防止強化により手指衛生の回数が増え、手指衛生を交えた手順が複雑となった。
脱衣時に他の人や環境を汚染する。
当院では通常、飛沫予防策や空気予防策などの隔離予防策を実施するときは、個室を使用していました。個室はベッド周囲を汚染エリアとし、部屋のドアからベッドまでのエリアに前室を設け、PPEを脱いでいました。COVID-19専用病棟では、ナースステーションが清潔エリア、病室の前の廊下を汚染エリアとしたため、ナースステーションと廊下の出入り口が数か所ありました。そこで、PPEを脱ぐエリアを一か所にして、エリアが明確になるように床にテープを貼り「脱衣エリア」を設置しました。また、脱ぐ前の人と、脱ぐ途中の人が接触しないように、脱衣エリアの定員は1名にしました。その結果、周囲を気にせず脱ぐことができ、他の人や環境を汚染することはありませんでした。また、脱衣エリアを一方向に進めるように道を作成し、最後は手洗い場にたどり着くようにしました。手洗い場で流水と石鹸で手指衛生を実施し、新しいサージカルマスクを装着してから清潔エリアに戻って来られるようにしました。また、PPE脱衣時に医療者の感染が考えられるため、脱ぐ手順については、手指衛生のタイミングを明確にしました。さらに、当時はゴーグルやN95マスクをリユースしていたため、保管場所が追加され、手順が複雑になっていました。そのため、脱ぐ順番と手指衛生のタイミングが分かるようにポスターを作成し、ポスターを見ながら脱ぐことが出来るように、医療用廃棄物容器の傍に貼り出しました。COVID-19専用病棟に配置されたスタッフは、初めは手順を習得したスタッフに見守られながらPPEを脱ぎますが、正しく脱ぐことができると合格がもらえます。その後は、一人でも正しい手順で脱ぐことができるようになりました(写真2,3)。
ナッジ理論で振り返る
ナッジ理論とは、「人の行動は不合理だ」という前提のもとに人間の行動を心理学、経済学の側面から研究する「行動経済学」の教授によって発表されました。ナッジとは「そっと後押しする」という意味で、ナッジ理論とは「小さなきっかけを与えて、人々の行動を変える戦略」です。ナッジ理論のフレームワークにEasy, Attractive, Social, Timely(以下、EAST)があります。
Easy(簡単に)
Attractive(魅力的に)
Social(社会的・互恵的か)
Timely(よいタイミングか)
E:脱ぐ順番を脱ぐ場所に提示し、順番を覚えなくてよい。テープにより一目でエリアが分かる。
A:合格のご褒美がある(手順の確認が必要なスタッフリストに合格の丸が記され、一人で脱ぐ事ができる)。
S:正しく脱ぐことで、感染予防と安心感がもてる。
T:PPEを脱ぎながら脱衣方法が分かる。
その後、COVID-19感染状況により、COVID-19専用病棟は、病棟内で病室のエリア分けを行い、非感染者(通常のがん診療)と感染者の診療を行うことになり、PPE着脱場所を何度か変更しました。着用場所や規模の縮小が行われても同じように、テーブルを一周するとPPEを正しく着用できるように配置し、脱衣エリアも変更前と同じように設置しました。そのため、スタッフが混乱することはありませんでした。また、当院かかりつけの患者が増えたことなどにより、医療者のローテーションが廃止され、看護師は固定、医師はかかりつけ担当医が対応することになり、多くの医療者がCOVID-19専用病棟へ出入りするようになりました。初めてのスタッフには、「ここを一周するのですよ」とまず説明すると、「おお~」と感心し、久しぶりのスタッフにも変更した場所のみ説明すればスムーズに着脱できました。また、病棟看護師の誰もが説明しやすく、説明されたスタッフは、次から一人で着脱できるようになりました。
おわりに
当時COVID-19の対応は急務であり、教育を十分に行うことが出来ませんでした。しかし、このようにナッジ理論のEASTフレームワークを活用してPPE着脱の手順を簡易にし、魅力的にすることでスタッフ間での互恵的な協力が促進され、タイムリーな対応が可能となりました。これにより、新たなスタッフや状況の変化にもスムーズに適応し、PPEの正しい着脱を維持することができました。また、「覚えなければ」、「感染が怖い」などのスタッフのストレス軽減にも繋がりました。これらのことにより、感染拡大防止と医療スタッフの安全を確保することができたと考えます。
引用・参考文献
1)INFECTION CONTROL 2023 vol.32 no.2.198-200.
2)坂本史衣.基礎から学ぶ医療関連感染対策 標準予防策からサーベイランスまで改訂第3版.南江堂2019.2.15.
3)厚生労働省 受診率向上施設ハンドブック 明日から使えるナッジ理論. https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000506623.pdf. 2023年12月13日現在.
4)⼀般社団法⼈ ⽇本環境感染学会 医療機関における新型コロナウイルス感染症への対応ガイド 第5版 2023.1.17.

